不便と不幸の違い

認知症になったのは不便なことですが、不幸なことではありません。
誰もが認知症になる可能性があると書きましたが、それは絶望ではありません。認知症になったからといって、それまでの自分と全く違う自分になってしまうわけはないのです。  認知症の本質は何かというと、暮らしの障害です。朝起きて、ご飯を食べて、出かける準備をして、後片付けや洗濯をして・・・・こうした今までの暮らしがうまくいかなくなることです。確かに不便ですが、これらは周囲との関わり方によって随分違ってきます。すごい障害だと思い込まず柔軟に対処すれば、案外そうでもなくなることがあります。(長谷川先生が述べておられるこの段階の認知症は、非常に進行した認知症の状態ではありません。私の母もアルツハイマー型認知症になりましたが、最後は私たちの顔も判らない状態になりました。)
神様の恩寵
人はやがて死を迎える。その準備をする中で、認知症が死の恐怖を緩和してくれるのではないかと思います。
私は心臓に病気があるので、発作に備え、いつも薬を持ち歩いています。そんなこともあり、以前から死についてよく考えていました。死の世界がどんなものかは判りません。天国に行くか、地獄に行くか。いずれにしてもやはり死ぬのは怖いですよ。真っ暗な闇ですから。  そんな私にとって認知症は、死への恐怖を思い詰めず、毎日を精一杯生きるように差し向けられた神の恩寵ではないかと思えるのです。どんなに悩もうが、やはり生きているうちが花。今という時間を大切に生き、最後は一回きりの死を上手に受け入れ、旅立って行きたいです。  長谷川和夫著:「認知症でも心は豊かにいきている」から)